自己紹介

自己紹介記事を書こうと思ったきっかけ

弊所ホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
恥ずかしながら今回は自分自身のことについて書いてみようと思います(〃▽〃)

この記事を書こうと思ったきっかけは、お客様が弊所にご連絡をいただく際に、気兼ねなくご連絡をしていただきたいと思ったからです。
また、司法書士を志している受験生の方達には、こんな感じで司法書士になった人もいるんだな~と思ってもらえれば!

正直なところ、自分自身がが司法書士になるまでは、どんな人たちが司法書士という職業についているのか全く知りませんでしたし、法律関係の仕事をしている人ってお堅い感じなんだろうなぁなんて思っていました。

この記事を読んでいただいた方には、司法書士をより身近に、相談しやすい人なんだと感じでいただければ幸甚です。

なお、この先は自分語りになりますので興味のない方は回れ右でお願いします(笑)

学生時代

私は長野県小諸市で生まれました。
母親の実家が長野にあったので、実家近くの病院で生まれたそうです。
余談ですが、母方の実家が長野ということもあり、ありがたいことに毎年食べきれないくらいのブドウが母方の実家から送られてきます。
(祖母が非常に元気で、いまだに一人でブドウ農家を営んでいます。昭和一桁生まれ恐るべし( ゚Д゚))

その後自宅のあった東京都江東区で小学生時代の大半を過ごします。
今思い返してみても取り立てて勉強が出来るわけでもなく、運動が出来るわけでもなく、平均的な子供だったように思います。

バレーボールとの出会い(小学生時代)

そんな折、クラスメイトに誘われてバレーボールクラブ(三大小ジュニア)に入ることになりました。
小学三年生の頃でした。
見学だけのつもりでしたが、うまく煽てられてあっという間に入部を決めました(笑)

それまで習い事(水泳、体操クラブ等)はいくつかしていた記憶がありますが、本格的にスポーツをしたのはこれが初めての経験でした。
そして私の人生の中であれほど人に怒られた(笑)のは後にも先にもこの頃だけです。
それまでは「親父にも殴られたことがないのにっっっ!!!」状態でしたので・・

楽しかったバレーボールを一瞬で辞めたくなったのは今でも覚えています。
しかし、割と勝気な母親でしたので、「ちょっと怒られたくらいでメソメソすんな!!」と逆に怒られ・・退部することも出来ず、辛いながらも毎回練習に行っていました。

これがきっかけかは分かりませんが、反抗期の反動がすごかったです(+_+)
しかも対象が両親にではなく、バレーボールクラブの監督やコーチでした・・
今思い返しても、当時見守ってくださった方々には頭があがりません。

中学時代

なんだかんだ続けていたバレーボールですが、小学校の高学年になる頃には楽しくて楽しくて仕方なくなっていました。
(ちなみに西東京市(当時は保谷市)に引っ越してきたのは、小学6年生の頃でした。)
そして、中学校でも部活でバレーボールを続けました。(出身校は西東京市立ひばりが丘中です)
もうこの頃の生活はすべてバレーボール一色でした。(笑)

部活だけではやり足りず、地元の社会人チームやママさんバレーの練習にも参加していたので、週七日間ひたすらバレーボールばかりしていました。
逆に他のことをしていた記憶がありません・・

高校時代

バレーボールばかりしていたおかげで、中学校の成績は残念な感じでした・・
ただ、幸いなことにスポーツ推薦をもらえていたので全く受験しようなどという気も起きず・・

推薦してもらえた帝京八王子高校に入学しました。
ただ入学前は何も気にしていなかったのですが、片道2時間かかるという・・正直入学してから後悔しました。
朝練もあったため毎朝6時頃家を出て、帰ってくるのが9時半過ぎという生活だったので、家には寝るために帰ってきているようなものでした。
この頃はバレーボール以外のことは何もする余裕がなかったですね。

そんなこんなで高校3年間毎日毎日バレーボールの日々・・と思いきや・・
詳細は省きますが、ちょいと問題が起こったため部自体が存続の危機・・しかもそれを乗り越えられず廃部となりました。
私自身も高校2年生の半ばには退部していました。

どちらにしても、真剣にバレーボールをするのは高校までと自分の中で決めていたので、退部した後は普通の高校生活を謳歌しました。
ただ、今までスポーツ一辺倒でまともに休日もないような生活だったので、急に土日祝日休みと言われても何をしていいかわからず、ただただ暇を持て余していました。
(今も何もしなくていい休日の過ごし方はよくわかりません(笑))

ちなみに、部活を辞めるまで祝日という存在が大嫌いでした。
その理由は・・3連休以上になると合宿(遠征)が入るから!!
夏休みなんて地獄!!(ノД`)・゜・。
祝日なんてすべて無くなってしまえばいいと思っていましたね。
(今は祝日のありがたみを感じています。)

さて、高校3年生になり、大学も推薦で入学が決まっていたので、高校生ライフを満喫していたのですが・・この時ふと思い立ちます。

思いつき~人生の分岐点~

思いつき
さて、何を思いついたかというと「勉強(受験)でもしてみよっかな~」でした。
勉強するのは学生の本分ですので、何を当たり前のことを・・という感じなんですが、これを言い出したら病気にでもなったのかというくらい周りからは驚かれました。
そのくらい当時の私の生活はバレーボールだけで占められていましたし、授業のほとんどは寝てばかりいました。
とても、勉強するような学生ではありませんでしたね。

ただ思いついた時期が高校3年生の12月・・
思いついたらすぐ実行する性質なので、すぐに大学の推薦を蹴って受験すると両親と学校に宣言してしまいました(笑)

正直ただの「思いつき」です(*´▽`*)
「部活辞めて暇だな~」→「ちょっと勉強でもしてみよっかな~」→「ついでだし受験してみよう!」なんて感じです。
この時の思いつきがなかったら司法書士になることもなかったでしょうし、思い返せば良い選択だったようにも思いますが・・後に死ぬほど後悔しました。

なにせ、学校の試験勉強ですらまともにしたこともなく、一般動詞とBe動詞の区別すら分かっていませんでした。
(注:高校3年生です)
しかも直近で受けた模試の偏差値は30・・(*ノωノ)
偏差値の意味も分かってなかったので、どれほど自分に学力が備わっていないかも当時の自分は理解していませんでした。
それでも1カ月も真面目に勉強すれば大学に入れると本気で思っていました・・まぁ勉強し始めてすぐに幻想だと気付きましたが。(笑)

大学時代

少し時間は飛びますが、なんとか受験を終え(2年浪人しました・・)、無事明治大学に入学することが出来ました。

浪人時代のことはほぼ書くことはありませんが、とにかく毎日勉強していました。(*´Д`)
司法書士の受験生時代と比べても、浪人時期の方が圧倒的に勉強していたように思います。
なにせ義務教育で習うことの大半を学び直した感じでしたので、とにかく苦労しました。

大学に入学してからは、The大学生という生活を謳歌しました。
法学部でしたので、あまり出席が重視されず、試験一発勝負で成績が決まるというのも自分には合っていたような気もします。
詳細は省きますが、とにかくこの頃は楽しかったです!!

思いつき・・再び

さて、大学3年生になり、就職も視野に入ってきた頃、私には会社に就職して仕事をしているイメージが全く浮かびませんでした。
ただ、司法試験を受けようにも、大学院に行かなくてはならないという事が私の中で非常にネックになっていました。
(当時、ちょうど法科大学院制度が導入され、司法試験を受けるために法科大学院への入学が必要となったタイミングでした。)

そんな折、大学の講義で「司法書士」なる資格があることを知りました。
法学部に所属はしていましたが、正直法律系の資格は弁護士くらいしか知りませんでした。(笑)

司法書士について調べてみると、受験資格も特になく、年に一回の試験に合格すれば資格が取れるとのことだったので、ほぼ迷わず受験することを決めました。
難易度についてはあまり気に留めることもなく、「なんとかなるだろ~」くらいの気持ちでいました。
なにが言いたいかというと、司法書士になろうと思ったきっかけも「思いつき」です。(/・ω・)/

多少どんな資格なのか、どんな仕事をするのかも調べましたが、当時の私には「登記のスペシャリスト」「街の法律家」と言われてもいまいちピンとくるものがなく、とりあえず資格を取ってから考えようと思っていました。

司法書士受験生時代

司法書士受験生時代
私が司法書士の試験に合格するまで3年間かかりました。
司法書士試験を受け始めた頃はまだ大学生でしたので、講義を受けつつ、毎日とりあえず勉強するといった感じでした。
とは言っても、圧倒的に勉強量が足りていませんでしたが。

大学4年生の時に初めての司法書士試験に挑みましたが、あえなく撃沈。(箸にも棒にも掛かからない成績でした。)
その後、フリーターをしながら司法書士試験に専念することに。

大学時代の友人は皆就職したので、受験生の間は励ましあえる友人などもおらず、近所の無料自習室で黙々と勉強していました。
ちなみに大学卒業後~司法書士試験合格まで西東京市スポーツセンターのトレーニングジムでバイトをしていました。
受験生の間は人と関われる唯一の場所でしたので、今でも思い出の場所です。

さて、大学を卒業し、2回目の司法書士試験に挑みましたが・・これも不合格でした。
しかも1点足りず・・
この年の司法書士試験での合格を目指して勉強していたので、正直心が折れそうでした。

ですが、「たった1点足りなかっただけ・・もう1年やればなんとか合格できるはず!!」と最後にもう1年だけ受験することを決めました。
もしこの次の司法書士試験に合格できないようであれば、司法書士は諦めようと決意したのもこの時です。

そして、なんとかその次の試験に合格することができ、やっと司法書士として、社会人としてスタートラインに立つことが出来ました。
自分の受験番号を探している間、手の震えが止まらず、見つけた瞬間に思わず叫んだことも今でも鮮明に思い出せます。

司法書士になって

私は平成25年度の司法書士試験に合格し、この世界に飛び込みました。年齢は25歳でした。
右も左も分からず、社会人としてのマナーも全く知らない状態でした。

そしていくつかの事務所で修業した後、平成28年12月に今のあおやぎ司法書士事務所を開業しました。
修業期間は良いことばかりではありませんでしたが、その経験があったからこそ、自分の信じる司法書士像を確立できたように思います。

私が現在も大切にしていることは次の2つです。
1.「腰は低く志は高く」をモットーとすること
これは修業期間中に最もお世話になった先生の受け売りです。
「街の法律家」として非常に大事な心持を表現した素晴らしい考え方だと思っています。
ご相談にきていただいたお客様に寄り添った仕事を今後も続けていくべく、この考え方を大切にしています。

2.自信を持ったサービスを提供するということ
司法書士業務と一口に言っても、その内容は多岐に分かれます。
その司法書士業務すべてをお客様に満足していただけるクオリティで私一人が提供し続けることは
不可能に近いと思っています。
修業期間中、とにかく依頼が来た業務はすべて受け、多少クレームになってもとにかくこなすという
事務所を見てきましたが、こうした方針は私にとって受け入れられるものではありませんでした。
長々と書くことはしませんが、私は私の手の届く範囲で最大限のサービスを提供したいと考えているため、
司法書士業務の中から最も得意とするサービスを提供させていただいております。

終わりに

ここまで、私の半生を長々と語らせていただきました。
退屈な文章であったかもしれませんが、最後までお読みいただいて本当にありがとうございます。

よくお客様とお会いした際に、「先生は昔から勉強できたのですか?」とか「やっぱり良い大学でてるんですね~」などと言われます。
正直なところ、違和感が凄いです(=_=)

お仕事柄、お客様の大事な権利関係に携わらせていただくことが多いので、もちろん仕事はバシッとこなします。
ミスがあってはならないですからね。
それに伴って口調や態度も気を付けてはいます。
が、内心は割とドキドキしていることが多いですし、「さて、困ったな」なんて思っていることも多々あります。

ただ、この記事をお読みいただいて少しお分かりいただけたかとは思いますが、私はどちらかというと体育会系です。
なので、難しい顔をして、じっと机に向かっているなんてことは正直性に合いません。
体を動かしている方がよっぽど好きです(*^-^*)

しかし、こじれてしまった法律問題や手ごわい手続きについてお手伝いをさせていただいて皆様のお力になれるこの仕事にはとてもやりがいを感じています。
解決のために必死に机にかじりついて知恵を絞ります。

もし、この記事をお読みいただいてからお会いできる方がいらっしゃいましたら、そんなに気難しくもお堅い感じでもないと思っていただけたら幸いです。

最後になりましたが、お仕事やプライベートでも多くの方々とお会いできるのを楽しみにしております。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。

ありがとうございました

 
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